Wednesday, 30 May 2012

Life is tough — ルワンダ大虐殺の生存者と出会って


私がボランティアをしているオックスファムショップで、
一人のルワンダ人の女性の方が働いています。
優しくて、穏やかで、とってもチャーミングな人で、
おしゃべりしながら一緒に楽しくレジ打ちをしています。

そんな彼女ですが、実は1994年に出身国ルワンダで起こった大虐殺(ジェノサイド)を、
虐殺の激しかった首都キガリで、奇跡的に生き抜いた歴史の証人です。

「ホテル・ルワンダ」という映画を見た方も多いと思いますが、概要だけ。
ルワンダでは、植民地支配の負の遺産として残ったフツ系の人々による
ツチ系の人々への弾圧が激化し、ついに1994年、過激派フツと彼らによる
市民の煽動により、100日間で80万人のツチと彼らをかばったフツの人々が
虐殺されるという悲劇が起こりました。
この数字は、ヒトラーによるホロコーストを超える人類史上最悪の大虐殺と言われていて、
ルワンダ国内のツチ人口の75%にのぼる人々が命を落としたと言われています。
それが、ガス室や原爆といった装置や近代兵器では無く、
主に斧や銃火器などで行われたというのですから、筆舌に尽くしがたい惨劇です。

今回、彼女が渡英後に書いたという手記が英語で出版されていることを知り、
それを別のオックスファムのスタッフの人から借りて読みました。

「Miracle in Kigali」
http://www.miracleinkigali.co.uk/



内容は非常に厳しいものですが、しかし、彼女の強さを感じさせるものがあり、
言葉に出来ない感情がたくさんこみあげてきました。

簡単にあらすじだけ紹介した後、感じたことを記しておきます。

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ツチである彼女が結婚式を挙げた数日後に、キガリでジェノサイドが勃発します。
それより以前に妊娠していた彼女は、街のあちこちで殺戮が行われる中、男の子を出産。
しかし、その直後に、同じくツチだったご主人が、
友人で二人の結婚式にも参列していた人々によって、非情にも殺されてしまいます。。。

幸せのピークから一気に絶望のどん底へ・・・
私自身もまだ新婚(気分)なので、その心の痛みは想像することすらできません。

しかし、その後の彼女は、母の強さといういべきか、実にたくましいのです。
死を覚悟する場面に何度も遭遇しながらも、「数々の奇跡」によって、
無事に保護されるまでの数十日間、息子さんを背負って(おぶって)、逃げ続けます。

そして、事態が収まった後、ふとしたきっかけから、息子さんと共に英国で暮らすことを決意。
エイズ感染の恐怖や虐殺光景のフラッシュバックなど、数々のトラウマに苦しみながらも、
強くたくましく生きていく姿が綴られています。

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虐殺の様子はあまりに残酷で目を背けたくなるものですが、
その中で私が印象に残ったのは、彼女が生き抜く間、何人かのフツの人が、
彼女に助けの手を差し伸べたこと(彼女をかくまったり、殺すふりをして逃がしたり、
偽のIDを作ることを手伝ったり、など)について、彼女が記していることです。

「なぜ彼らは私を殺さなかったのか」

そんな問いを、彼女は繰り返しています。
そして、フツの人々の心の中にある良心や、殺戮行為への静かな抵抗といったところに
彼女が思いを寄せているところが、彼女の懐の深さを感じます。

フツの人々もツチを殺すことを嫌がれば自分が殺されてしまう、という
極限状態にあること。その中において、ひそかに彼女を生かそうとした人々。
そして、そうした人々に対する、彼女の考察。
「単に、彼らは殺戮に疲れていただけかもしれない」と
さらりとも書いていますが、人間の尊厳について考えさせられるものです。

どうして彼女が生き残ったのか、偶然か、神が意図したものなのか、誰にも解りません。
ただ、彼女を助けた人々は、きっとシンプルに彼女のことを助けたいと思ったのでは
無いかと思います。
彼女は、控えめで大人しいタイプの方ですが、
一緒にいる人の心を穏やかにするような不思議なオーラがあって、
落ち着きの中に芯の強さを感じさせるような、素敵な人だからです。

*   *   *   *   * 

読み終わった後に、彼女に一言、「あなたの本、読んだよ」と話しました。

「Thank you」と言ってニコリとする彼女。

しかし、そのあと私は、なんと言葉を発して良いのか、
わからなくなってしまいました。

すでに15年以上も前のこととはいえ、あまりにそのスケールが
自分が今までの人生で経験してきたこととかけ離れていて、
自分の持っているどんなボキャブラリーも、何の役にも立たないように思えたからです。

この一年、開発学を勉強して、途上国の人々が抱える問題について
あれこれと勉強してきたつもりなのに、なんの言葉も出てこないとは・・・。
自分は今まで何の勉強をしてきたのだろうか?と、思ってしまいました。

彼女はふうっとため息をついて「Life is tough.」(人生はタフだわ)と一言。

大学の課題や試験にあーだこーだ文句を言っている学生がぼやく同じセリフに比べて
1000万倍以上の重みが感じられました。

私には到底想像できない恐怖、哀しみ、苦しみを乗り越え、今を生きている彼女。
そのたくましさに、ただ圧倒されながら、
「あなたとこうして一緒に働けて嬉しいよ」と伝えました。

*   *   *   *   * 

思えば、日本人が見たり聞いたりするアフリカの事件やニュースは
まだまだ欧米のメディアを通して届くことが多いように感じます。
そうしているうちに、「どこか遠い国の野蛮な人たちが戦争している」というイメージを
無意識のうちに持ってしまうのかもしれません。

しかし、それは又聞きの又聞きみたいな情報であって、
こうして、まさに、事件の当事者からの生の声を聞くことは
そのリアリティが全く違うように思います。

日本で言えば、広島や長崎で被爆をされた方のお話を直接聞いたりするのも、
そういった意味があるのだと思います。中学生や高校生の時は、
「教科書に書いてあるんだし、どうしてわざわざ本人の話を聞く必要があるんだろうか」
と、生意気にも考えたりしていました。

でも、大切なことは、単に事実を知ったり数字を覚えたりすることでは無くて、
その本人と向き合ったときに、自分が何を思うか、なのではないかと。。。


インターネットの普及やスマートフォン、フェイスブックなどにより、
私たちは気付かないうちに「自分たちは以前より多くのことを知っている」
「より良い情報に簡単にアクセスできる」という感覚に陥るように思います。

でも、真のリアリティとは、やっぱり「現場」にあるものであって、
情報技術の発展によって、我々が
「より速く、より簡単に、より正しく、物事を理解するようになった」かといえば、
必ずしもそうではないかもしれません。
「より速く、より簡単に」は、そうかもしれませんが、
「より正しい」かどうかは、ツールの発展によってではなく、
結局は、情報を得る側の努力次第という点は、昔も今も変わっていないのではないか。

むしろ、我々が日々無限に流れ込んでくる表面的な情報に甘やかされ、
より「リアリティ」に迫ろうとする努力を怠ってしまうとすれば、
それは警戒しなければならないのかもしれません。


今回は重たい内容でしたが、お読みいただきありがとうございました。


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