Wednesday, 8 August 2012

月の兎

満月の夜。

大学のキャンパスを歩いていると。。。
月光の下で不気味に動く怪しい影たち・・・・・


見えますか・・・?写真の下のあたりです。
月を見上げているあのシルエットは・・・。



うさぎだ!



「ふっふっふっ・・・見たな。。。」
と言わんばかりの怖い写真ですが、
写真だと目が光っちゃうだけなんです、
彼らが悪いんじゃありません。

ちなみに昼の姿は、超キュート


・・・とはいっても、
大学のキャンパス内には、うさぎがうじゃうじゃいて、
もはや何の有り難みも感じないのですが、
この日の夜、こんなに興奮したのは、もちろん、

月といえばうさぎ、うさぎといえば月。

だからですよね^^

子供の頃にうさぎが月に住んでいるという話を聞いたことのある人は多いはず。
(かなり古いネタですが、セーラームーンのヒロインも月野うさぎ!)

でも、なんでそもそも月にうさぎが住んでいるのか?
これって常識なんでしょうか?というわけで、調べてみたところ、
自分にとって新しい発見だったので、書き留めておきます。

いつもの便利なWikipediaさんによれば、「月の兎」の物語は、
仏教の「ジャータカ(本生譚:ほんしょうたん)」という
経典に収められている話から由来しているそうで、
日本の平安時代に成立した『今昔物語集』にも登場します。
あらすじはこんなかんじ。

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在る処に、菩薩の道を志す狐、猿、兎がいました。
3匹は力尽きて倒れている老人に出逢い、彼を助けようとしました。
猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人にあげましたが、
兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができませんでした。
自分の非力さを嘆いた兎は、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、
自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込みました。
甚く感動した老人は、(お決まりの展開ですが)神様としての正体を現し、
兎の捨て身の行いを後世まで広く伝えるため、兎を月へと昇らせました。
月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、
兎が自らの身を焼いた際の煙なのだとか。

---★---★---★---★---★---★---★---★----

ま、まさに「捨て身の慈悲行」・・・。
そこまでやるか、兎さん、という感じですね。
そんなに偉い兎さんとは知らず、月で呑気に餅を突いていて羨ましいなぁと
今まで勘違いしていてごめんなさい。

そういえば、これまた仏教のジャータカ物語の中で、
お釈迦様の前世であるサッタ王子というお方が、
飢え死にしそうな虎親子を憐れみ、崖の上からその身を投げて食べさせたという
「捨身飼虎(しゃしんしこ)」という伝承があるのを思い出しました。
兎さんと、サッタ王子の物語が教えているところは同じなんでしょう。

それにしても、
仏教の「慈悲」の精神って、
半端ないなぁ・・・と、唸ってしまった。

 * * * * *


翌日、クラスメイト(フィンランド人)に
「日本では、月に兎が住んでいると思っているんだよー」という話をしたら、
「私の国では、昔から月はチーズだと言っているよ」と話していた。
たしかに、表面のクレーターがぼこぼこしていて、
チーズを想起させると言われればそんな気がしなくも無いが・・・
偉大なる東洋の想像力よ!!と、思わず誇らしくなった(笑)

ちなみに、大学内のお土産屋さんで、
ティディベアならぬUEAバニーが売っています。
自分へのお土産に、1匹買いました。
(慈悲の心を、忘れないために・・・?)



ノーリッチでの生活も、残り17日となりました。



Thursday, 2 August 2012

Αυτά μου φαίνονται κινέζικα. It's Greek to me.

イギリスに戻ってからの私の日常。


毎朝9時30分、大学内のカフェで友達とモーニングコーヒーをし、
(社会人の頃と比べると遅い気がするが、これより早めると他に誰も来ない!)
「ううう〜〜いやだ〜いやだ〜」と言いながら自分を図書館に連行し、
そこから一日日が暮れるまで(夏のイギリスは日が暮れるのは遅い)、
ひたすら統計ソフトと計量経済学本と格闘する。。。


私の普段のデスクの様子。



パソコンの画面は、Stataという統計ソフトちゃん。
統計ソフトというと日本ではSPSSがよく知られているけど、
それよりもうちょっと、マニアックな感じ。
違いはよくわからないけど、SPSSはどちらかというと画面がカラフルで
少なくとも見かけはユーザーフレンドリーな雰囲気を与える。
一方、Stataはデザインとかお構いなく、機能重視?というか、なんというか。
経済学系は、よくStataを使うのかな−?心理学系は普通SPSSですか?違うかな?

真ん中にあるのは大学のロゴ入りのマイマグ。保温機能は特になく、
単にキャンパス内のカフェでディスカウントが受けられる。
実はこの子は4代目。所持品をあまりに良くなくすので、
ついにカップの裏に名前と学籍番号を記入した。。。情けない。。


さて、今日のタイトルは、少しややこしいというか、単なる言葉遊びです。

勉強仲間のアレクサンドロス君(ギリシャ人の名前はなんか迫力がある)と
ダイナミックパネルデータについて話していたとき、彼が漏らした一言。
(実名掲載の許可は取得済みです)

"It is chinese to me."

???・・・一瞬混乱したが、文脈的には、
何か難解な物事に対して「さっぱりわからないよー」という意味で使う、
日本語の「ちんぷんかんぷん」と同じ。それをギリシャ語でいうと、上記の通り、
Αυτά μου φαίνονται κινέζικα. 「中国語みたいだ」になるのだとか。

これが、英語では「It is Greek to me(それは私にとってギリシャ語だ)」となる。
この語源は、もともとラテン語で
"Graecum est; non legitur" ("it is Greek, [therefore] it cannot be read")
「それはギリシャ語だ、だから読めない」
という言葉があるらしく、シェイクスピアの『ユリウス・シーザー』でも、
これをもじったセリフが出てくるらしい。

ちなみに、英語版のWikipediaで調べると、
どの言語がどの他言語を「理解不能言語」としてターゲットとしているかが載っている。

ギリシャ語意外にも、比較的多くのヨーロッパ言語が、
中国語を「難解」であると考えているらしい。
あとは、東欧諸国の言語はスペイン語をターゲットにしているところもあるようだ。

さて、その中国語はというと、「神の言葉」とか「火星の言葉」とか
「古代語」などに例えていて、受け流している。

日本語の「ちんぷんかんぷん」は、中国語の「ちんぷとん・かんぷとん」という
言葉から来ているという説がネットに出ていたけど、いまいち判然としない。

それから、なぜか、ペルシャ語が日本語を標的にしているらしい。
なぜ日本語なんだ・・・・??
ペルシャ人はいつ初めて日本語を聞いたんだろうな。

世界中の人々が、よくわからないことをお互い他人の言語に例えて、
「まるで△△語みたいーーー」といっているのってなんか皮肉だな。
バベルの塔が神の怒りを買い、世界中の人々の言語がバラバラになる前は、
もうちょっとシンプルな世界だったんだろうな。




そんなことを考えながら、ぐだぐだと過ごす大学院生活もあと少し。

こないだ、アレクサンドロス君が「パスティチョPastitsio」という
ギリシャ料理を作ってきてくれたので、みんなで食べた。
わざわざアテネのお母さんに電話してレシピを聞いて、3時間かけて作ってくれたらしい。

とっても美味しかったです!
Ευχαριστώ!!!! Thank you ありがとう! Alex!


パスティチョ: パスタの上にミートソースとベシャメルソースを載せてオーブンで焼いたもの)

Friday, 20 July 2012

わ〜りたぽ〜り のんびり小浜島に行ってきました。

お久しぶりのブログです。突然ですが、沖縄の離島に行ってきました。



え?イギリスにいるんじゃないの?と思われる方もいらっしゃるかと思いますが・・・。
イギリスでは、沖縄が密かなブームになっていて、直行便が出ている程なんですよ!

・・・・というのは、です。ごめんなさい。

実は、6月中旬〜7月上旬に日本に一時帰国をしていました。
少しバタバタしていたのであまり多くの方に連絡できませんでしたが、
(そのためブログもお休みしていました)
夫がわざわざ休暇を取ってくれたので、どこか旅行に行くことにしました。

自分は4回目の沖縄とあって、今回はちょっとマニアックなところに行ってみたい!
という私のわがままで石垣島を初めとする八重山諸島の真ん中に浮かぶ「小浜島」へ。
(沖縄が初めてなのに快く承諾してくれた夫さん、ありがとう!)

わーりたぽーり」は小浜島の言葉で「ようこそいらっしゃいませ」。
沖縄本島での「めんそ〜れ」(うん、これは知ってる!)、
石垣島では「おーりとーり」というのだそうです。
同じ沖縄でも、沖縄本島〜石垣では東京〜大阪間くらい離れているそうで、
「沖縄」といってひとくくりにはできないのですね。。。

羽田〜那覇〜石垣と飛行機を乗り継ぎ、そこからさらにフェリーで小浜島へ。
名前の通りこぢんまりとした島に3泊4日という驚異的なのんびりスケジュールで滞在!
ここ何年かで最もホリデーらしいホリデーを過ごしてきたという感じですが、
改めて自然との触れあう時間を大切にしたいなぁ〜と感じた旅でもありました。

*  *  *  *  *

一日の始まりは、少し早起きして、ビーチでコーヒーを飲みながら
海を眺める「朝焼けカフェ」。
太陽が昇ると共に、海がだんだんとエメラルドグリーンに変化していく。
それをただぼけーーーーっと眺める(&うたた寝する)なんとも贅沢な時間。



日中はレンタカー・自転車を借りて、島内を散策。

島の西側に位置する海人(=漁師)村にやってきた。
ここからは西表島が目と鼻の先。
西表島と小浜島の間には、ヨナラ水道と呼ばれるマンタの通り道があって、
ダイビングのスポットらしい。
(私はダイビングは出来ないけど、いつかマンタとは泳いでみたい・・・。)
遠目に見ても、その水道と思われる場所はきれいなマリンブルーをしていた。
(写真だと解りづらいけど・・・)



沖縄に来たんだから!ということで、やっぱりはずせないシュノーケリング。
波が若干高くて大変だったけど、1時間くらい十分に楽しめた。
1時間、ひたすら珊瑚やそのまわりの熱帯魚を観察するというのも
日常生活ではまずない時間。
最期にクマノミを発見できたときは、無邪気に喜んでしまった。


極めつけは、星空観察。
快晴とはいえる天気ではなかったので、雲の切れ間に現れては消える星々を探す。。。
この時は、春の星座から夏の星座に移り変わるタイミング。
まずは春の星座を探して夜空を見上げ(春の大曲線!というのがあるのを初めて知った)、
観察を終える頃に「夏の大三角形」がかすかに現れ始めた。織姫&彦星だ。
帰り道では足下で蛍が光り、暗闇に大きなこうもりが飛ぶ。
そして、蚊に刺されまくった(特に主人が)。

星空観察、意外にはまった!日本に帰ったら、プラネタリウムに行きたいな。
そしていつか、本格的な星空観察にニュージーランドとかハワイに出かけてみたいと、
人生で初めて思った。



(星空の写真は無いけど、夜のホテル内の景色も幻想的)

*  *  *  *  *


真剣になってサンゴや星座を探したそれ自体も楽しかったけど、
そもそもゆ〜〜っくりと海の色や星空を見たのなど、何年ぶりだろうかな?

東京ではそもそも星空が綺麗に見えないから、きっと見る気も起きないのだが、
ときには空を見上げる心のゆとりを持てる人生を送れたらなぁと思う。
(私の地元の茨城は、冬はよく見えますよー)
魚を探したり、星を探したり、無邪気に子どもようなことをしていると、
普段の日常のめんどくさいことが一瞬でも頭から吹き飛んで、スッキリした気持ちになる。

星の数を数えても、たくさんの魚を見つけても、なんの役にも立たない。
それでも、無心に何かをするという行為、
他にも、絵を描くとか、ピアノを弾くとか、スポーツ、でも良いかもしれないけど、
「自分の心を洗浄する」時間を大切していきたいなぁ。


私たちが小浜島を出る1日前に、南からの強い風が吹き始めた。
この風は「かーちばい(夏至南風)」と呼ばれる季節風で、
梅雨明けを知らせる風なんだそうだ。
今年も暑い夏が八重山にやって来ていることだろう。



*  *  *  *  *

今回は、まさに「沖縄時間」に癒やされた旅でした。

また行きたいな、離島の旅。
そして、いつも心に微かでもゆとりを持って生きていたいものですね。

なんだか、観光自慢みたいなブログになってしまいましたが、
こないだ小浜島に住む人が書いているブログを読んでいて、
八重山にとってはやはり観光が命!と仰っていたので、
微力ながらアピールさせていただきました!

皆さん、沖縄にお越しの際は、ぜひ離島まで足を伸ばしてみては?!
話の都合上全く書きませんでしたが、沖縄料理もとっても美味しかったですよ!

(写真は定番の沖縄ソバにグルクン唐揚げ、そしてオリオンビール!)



今回も最期まで読んでいただき、ありがとうございました。

Wednesday, 30 May 2012

Life is tough — ルワンダ大虐殺の生存者と出会って


私がボランティアをしているオックスファムショップで、
一人のルワンダ人の女性の方が働いています。
優しくて、穏やかで、とってもチャーミングな人で、
おしゃべりしながら一緒に楽しくレジ打ちをしています。

そんな彼女ですが、実は1994年に出身国ルワンダで起こった大虐殺(ジェノサイド)を、
虐殺の激しかった首都キガリで、奇跡的に生き抜いた歴史の証人です。

「ホテル・ルワンダ」という映画を見た方も多いと思いますが、概要だけ。
ルワンダでは、植民地支配の負の遺産として残ったフツ系の人々による
ツチ系の人々への弾圧が激化し、ついに1994年、過激派フツと彼らによる
市民の煽動により、100日間で80万人のツチと彼らをかばったフツの人々が
虐殺されるという悲劇が起こりました。
この数字は、ヒトラーによるホロコーストを超える人類史上最悪の大虐殺と言われていて、
ルワンダ国内のツチ人口の75%にのぼる人々が命を落としたと言われています。
それが、ガス室や原爆といった装置や近代兵器では無く、
主に斧や銃火器などで行われたというのですから、筆舌に尽くしがたい惨劇です。

今回、彼女が渡英後に書いたという手記が英語で出版されていることを知り、
それを別のオックスファムのスタッフの人から借りて読みました。

「Miracle in Kigali」
http://www.miracleinkigali.co.uk/



内容は非常に厳しいものですが、しかし、彼女の強さを感じさせるものがあり、
言葉に出来ない感情がたくさんこみあげてきました。

簡単にあらすじだけ紹介した後、感じたことを記しておきます。

==============

ツチである彼女が結婚式を挙げた数日後に、キガリでジェノサイドが勃発します。
それより以前に妊娠していた彼女は、街のあちこちで殺戮が行われる中、男の子を出産。
しかし、その直後に、同じくツチだったご主人が、
友人で二人の結婚式にも参列していた人々によって、非情にも殺されてしまいます。。。

幸せのピークから一気に絶望のどん底へ・・・
私自身もまだ新婚(気分)なので、その心の痛みは想像することすらできません。

しかし、その後の彼女は、母の強さといういべきか、実にたくましいのです。
死を覚悟する場面に何度も遭遇しながらも、「数々の奇跡」によって、
無事に保護されるまでの数十日間、息子さんを背負って(おぶって)、逃げ続けます。

そして、事態が収まった後、ふとしたきっかけから、息子さんと共に英国で暮らすことを決意。
エイズ感染の恐怖や虐殺光景のフラッシュバックなど、数々のトラウマに苦しみながらも、
強くたくましく生きていく姿が綴られています。

=============

虐殺の様子はあまりに残酷で目を背けたくなるものですが、
その中で私が印象に残ったのは、彼女が生き抜く間、何人かのフツの人が、
彼女に助けの手を差し伸べたこと(彼女をかくまったり、殺すふりをして逃がしたり、
偽のIDを作ることを手伝ったり、など)について、彼女が記していることです。

「なぜ彼らは私を殺さなかったのか」

そんな問いを、彼女は繰り返しています。
そして、フツの人々の心の中にある良心や、殺戮行為への静かな抵抗といったところに
彼女が思いを寄せているところが、彼女の懐の深さを感じます。

フツの人々もツチを殺すことを嫌がれば自分が殺されてしまう、という
極限状態にあること。その中において、ひそかに彼女を生かそうとした人々。
そして、そうした人々に対する、彼女の考察。
「単に、彼らは殺戮に疲れていただけかもしれない」と
さらりとも書いていますが、人間の尊厳について考えさせられるものです。

どうして彼女が生き残ったのか、偶然か、神が意図したものなのか、誰にも解りません。
ただ、彼女を助けた人々は、きっとシンプルに彼女のことを助けたいと思ったのでは
無いかと思います。
彼女は、控えめで大人しいタイプの方ですが、
一緒にいる人の心を穏やかにするような不思議なオーラがあって、
落ち着きの中に芯の強さを感じさせるような、素敵な人だからです。

*   *   *   *   * 

読み終わった後に、彼女に一言、「あなたの本、読んだよ」と話しました。

「Thank you」と言ってニコリとする彼女。

しかし、そのあと私は、なんと言葉を発して良いのか、
わからなくなってしまいました。

すでに15年以上も前のこととはいえ、あまりにそのスケールが
自分が今までの人生で経験してきたこととかけ離れていて、
自分の持っているどんなボキャブラリーも、何の役にも立たないように思えたからです。

この一年、開発学を勉強して、途上国の人々が抱える問題について
あれこれと勉強してきたつもりなのに、なんの言葉も出てこないとは・・・。
自分は今まで何の勉強をしてきたのだろうか?と、思ってしまいました。

彼女はふうっとため息をついて「Life is tough.」(人生はタフだわ)と一言。

大学の課題や試験にあーだこーだ文句を言っている学生がぼやく同じセリフに比べて
1000万倍以上の重みが感じられました。

私には到底想像できない恐怖、哀しみ、苦しみを乗り越え、今を生きている彼女。
そのたくましさに、ただ圧倒されながら、
「あなたとこうして一緒に働けて嬉しいよ」と伝えました。

*   *   *   *   * 

思えば、日本人が見たり聞いたりするアフリカの事件やニュースは
まだまだ欧米のメディアを通して届くことが多いように感じます。
そうしているうちに、「どこか遠い国の野蛮な人たちが戦争している」というイメージを
無意識のうちに持ってしまうのかもしれません。

しかし、それは又聞きの又聞きみたいな情報であって、
こうして、まさに、事件の当事者からの生の声を聞くことは
そのリアリティが全く違うように思います。

日本で言えば、広島や長崎で被爆をされた方のお話を直接聞いたりするのも、
そういった意味があるのだと思います。中学生や高校生の時は、
「教科書に書いてあるんだし、どうしてわざわざ本人の話を聞く必要があるんだろうか」
と、生意気にも考えたりしていました。

でも、大切なことは、単に事実を知ったり数字を覚えたりすることでは無くて、
その本人と向き合ったときに、自分が何を思うか、なのではないかと。。。


インターネットの普及やスマートフォン、フェイスブックなどにより、
私たちは気付かないうちに「自分たちは以前より多くのことを知っている」
「より良い情報に簡単にアクセスできる」という感覚に陥るように思います。

でも、真のリアリティとは、やっぱり「現場」にあるものであって、
情報技術の発展によって、我々が
「より速く、より簡単に、より正しく、物事を理解するようになった」かといえば、
必ずしもそうではないかもしれません。
「より速く、より簡単に」は、そうかもしれませんが、
「より正しい」かどうかは、ツールの発展によってではなく、
結局は、情報を得る側の努力次第という点は、昔も今も変わっていないのではないか。

むしろ、我々が日々無限に流れ込んでくる表面的な情報に甘やかされ、
より「リアリティ」に迫ろうとする努力を怠ってしまうとすれば、
それは警戒しなければならないのかもしれません。


今回は重たい内容でしたが、お読みいただきありがとうございました。


Saturday, 12 May 2012

「親思う心に勝る親心」ー母の日に寄せて

本日のノーリッチはまあまあの晴天。
日差しに誘われて、キャンパス内の湖の周りへ散歩に行ってみました。
空気がひんやりと冷たかったけれど、野花が咲き乱れ、鳥のさえずりが心地良い〜



最近、ウサギの親子をキャンパス内で見かけます。
初々しい?鳥のカップルも寄り添って飛んでいます。
春は、新しい家族の季節なんだなぁと、イギリスの田舎で実感。



さて、「家族」と言えば、日本では明日は「母の日」ですね。
ということで、親への感謝の気持ちを表す言葉を探してみました。


「親思う心に勝る親心」


これは、吉田松陰の辞世の句である
「親思ふ心にまさる親心けふの音づれなんときくらん」から。
江戸で罪人として処刑の決まった吉田松陰が田舎の両親に宛てた手紙で詠んだ句とのこと。
「世話になった両親が、自分の処刑の知らせを聞いてどんな気持ちになるだろうか」
・・・という意味なんだそうです。なんか哀しい歌だなぁ。


親の子に対する愛の深さを表現した言葉だけど、
これを子が親に対して詠んでいるところが、またなんというか、
返したくても返しきれない親の恩の深さに対する畏敬の念みたいなものを感じます。


大人になると、若い頃にはあまり感じなかった親への感謝の気持ちというものが、
親の愛を受けて育った人の多くの心に、自然に芽生えるものだと思います。
子どもの頃は、親が自分を守って育ててくれることは当たり前だと思っていたのが、
自分が大人になってみると、誰かを守るってどんなに大変かと言うことに
気付かされるからかもしれないですね。
(勿論、複雑な家庭内環境や家庭内暴力、育児放棄など
個々の家庭にはそれぞれの問題がありますので、一般化はできませんが・・・。)


私の場合、少しオーバーな表現だけど、その絶対的な「無償の愛」の前で、
自分の無力感、みたいなものを覚えることすらあります。
「あー・・・この恩は、一生かけても返せないな・・・」という、まさに完敗!という気持ち。
仏教では、「父母の恩の重きこと、天に極まり無きが如し」とさえ言うんだそうです。

しかし、もらいっぱなしってなんだか気持ち悪いですよね。
人に何か良いことをしてもらったら、何かお返しをしたいと思うのが
モラルある人間の行動ですが、
どんなに返したくても返しきれない恩、こいつはいったいどうしたものか。


・・・私は、別の誰かに与えていく、ということしか思いつきません。
しかし、「返す」とは、「何かをもらった相手に戻す」という意味ですから、
そもそも、「別の誰かに」という時点で、これは厳密には「返した」ことにならないわけで、
そう考えると、やっぱり、「返せない」んでしょうね。親の愛って。

もちろん、老後の介護はしっかりとやりたいと思っていますので、
まったく恩を返せないわけでは無いかもしれませんが、
むしろ、この親から受けた愛に対しては、
それと同じくらいかそれ以上の愛を次の世代に与えていくべきなんでしょう。
まさに、親の愛とは、生命の営みが成せる驚異であり、
上の世代から下の世代へと延々と流れていく大いなる河のようなものだと思います。

だから、親のことを考えると、やっぱり子どもを産みたい!という考えになります。
偉大な愛の流れを私のところで堰き止めてしまいたくないからです。


一方で、自分の子どもだけにこだわるのではなくて、
より広い社会や人類の発展に貢献していくことも、
親から受けた恩に対する一つの応えにもなりうると思います。
吉田松陰は、29歳で処刑されてしまい、親より先に逝ってしまったという意味では
親不孝者かもしれませんが、彼の強い意志が、その後日本の歴史を変えていった
ことを思えば、彼の成したことも偉大なことだと思います。


ただ、自分がもし彼の母親だったら、どう思ったかな。
日本のために命を捧げた偉大な息子と思うか、
ごく一般的な人間であって良いから、生きていて欲しかった、と思うのか。


しかし、内心で自分がどう思うと、賛成しようと無かろうと、
子どもにどう生きるかという選択の自由を与え、受け止め、無条件にサポートする、
これもまた、驚くべき親の愛の成せるワザだと思っています。
これはかなり上級技だと思うので、全ての人が出来ることでは無いかもしれません。


個人的な話になりますが、私の両親は、そんな両親です。
母親は「私はこう思うけど、最後はあなたの好きなようにしなさい」とよく言ってくれます。
父親は、母親よりは少し心配性だけど、いつでも優しくサポートしてくれます。
(まぁ、さすがに私が処刑されちゃったらイヤだと思いますが・・・)
私は、そんな親の教育方針に非常に感謝しています。
現在も、親のサポートなくしては、留学を実現できるはず無かったし、
留学前のいきなりの結婚だって、びっくりしながらも温かく応援してくれました。
父親、母親の寛大さ、偉大さ、尊さにただただ頭を下げるばかりです。

普段は陰ながら応援し、困ったときは手をさしのべてくれる両親。
私もそんな母親になりたいものです。

お母さん、お父さん、本当にありがとう♡
いつまでも元気でいてね!

Saturday, 5 May 2012

Conosco i miei polli. - I know my chicken. イタリア・トスカーナの旅

5月1日、大学院の試験が無事終了!!
なので、滞っていたブログ更新を再開。

それにしても、このブログ、改行すると不自然に間隔を開けられてしまい、
レイアウトが美しくなく、大変不快だ・・・なんとかならないのだろうか。
読みづらくてごめんなさい。設定が悪いのかなぁ・・・。

*  *  *  *  *

今回のテーマは、試験前に行ったイタリア・トスカーナ旅行。
6年前に日本で会ったイタリア人の友人宅に居候しつつ、
彼女の住むピサを起点にトスカーナ州の主要都市を巡ることに。

*  *  *  *  *

まずは諺から。

タイトルの言葉は、滞在中に友人が使っていたSaying。
彼女の友人で、道中ずっと一緒にガイドをしてくれた人が
待ち合わせに遅刻したときに彼女がぼやいた一言。

"Conosco i miei polli." 
直訳すると「I know my chicken 私は自分の鶏のことを知っている」

自分がよく知っている人(同僚や友人)が何かをしでかしても、
予想の範囲内だから驚かないわよ〜
・・・という意味らしい。

人をチキン扱いしながらも、親しみがこもった言葉だなぁと、
妙に気に入ってしまったので、メモメモ。
(その時は思わず爆笑したが、そのときのニュアンスを伝えるのって
今になると難しい・・・そういうことってありますよね・・・)
いつか使える機会があると良いな〜。
恐らく、うちの旦那さんが最初のターゲットになるでしょう(笑)。

 *  *  *  *  *

続いて、旅のスナップショット編。

因みに、詳細な旅日記を別のブログにつけてます。
もし、ご興味のある方がいらっしゃれば、各リンクも併せてどうぞ。

初日は、ピサ。あまりにも有名なピサの斜塔


(この角度からの写真だと、あまり傾いて見えないな・・・)

個人的には、塔のデザインの美しさにほれぼれ。


翌日は、城壁が有名なルッカという街へ

ピサから車か電車で30分くらい?の小さな街。
日本人にはあまり知られていない穴場だが、美しい街並みの残るオススメスポット。
ファロという麦の入ったスープが美味しかった。



3日目は、美しい街並みが有名なシエナへ

シンボルのカンポ広場にある「マンジャの塔」からの眺めは圧巻(下写真)。
右奥に見える大聖堂は、ファサードも内部もかなりゴージャスだった。



4日目は、トスカーナ最大都市、花の都フィレンツェへ


どこよりも、観光地×観光地していた。

個人的には、メディチ家の権力の中心地として、訪れた意義は深かった。
そして、ウフィツィ美術館の名画コレクションは、やっぱり素晴らしかった。



最終日の備忘録。
やっと気持ちよく晴れた。


*  *  *  *  *

最後に、カトリック教会とその建築への考察を少し。

主に4つ書き留めておこう(センタリングは読みにくいので終了)。

1.カトリック教会の影響力と政治権力
「ローマにパパ様にいらっしゃる!」ことを考えれば至極当然のことだが、
やはりカトリックの影響力が他のヨーロッパ諸国に比べてかなり色濃い。
イタリアが権勢を誇った時代=カトリックの全盛期だから、すべてが豪華で煌びやか。
そして、当時の政治権力と教会勢力の結びつきもかなり強い

都市国家の権力の大きさ=大聖堂の大きさという図式もかなりクリア。
メディチ家は、一族から教皇になる人も出るくらいだしな。

それから、それぞれの教会の商売根性もすごいと思った。
(イギリスのセント・ポール大聖堂と良い勝負だ)

2.カトリックの聖母信仰の強さ
これは、イギリスやドイツなどプロテスタントが主流の国では
あまり感じなかったことなのでちょっと驚いた。
教会に描かれた絵でも、ウフィツィのコレクションでも、
マリア様が「どどーん」と女王様のように構図の中心に位置していて、
その腕に抱かれている赤ちゃんのキリストが、まるでおまけみたいな感じだ。
(夫のヨセフの存在感にいたっては、ほとんどなし)
マリアの死後の被昇天についての描写が多いのもびっくりだった。
彼女の被昇天がカトリックの教義になっているとは、これまで知らなかった。

このマリア信仰がどこから来たのか、もっと勉強しよう〜と思った。
今のところ、個人的には、マリアって「母性」と「ヴァージン」という
男性の2つの願望を満たす理想の女性像、というようにしか思えないのだけど・・・
これにはもっと知識が必要だから、安易なコメントは控えるべし。

3.教会建築とアラブ文化
これは今回の新発見。
十字軍がエルサレム奪還のためにアラブ勢力と闘った際に、
アラブの文化や建築技術などをあれこれと持ち帰ったらしい。

ピサ、シエナの教会に見られる白黒ストライプは思わずびっくり。

当時の西側から見れば、イスラムは政治的にも大きな脅威であると同時に、
先進的な文化を有していると考えられていたから、
その文化を取り込むという積極的な態度があったのだろうか。
スペインのアルハンブラ宮殿がしばしば西洋におけるイスラム文化!と言うけれど、
それよりももっと昔に、しかもカトリックの本拠地(しかしフロンティア)で、
東西の衝突の中で、文化の融合が育まれていたというのは興味深い。

4.教会建築の奥深さ
最後に、ビザンチンとかゴシックとかルネサンスとかネオゴシックとか、
自分は基本的な知識しか無いけれど、もっと建築史や美術史の知識を深く身に付ければ
ヨーロッパの旅はもっともっと楽しくなると思った。
たまにヨーロッパを旅行して「どこの教会も同じ」と言っている人がいるけど、
もっとその土地の歴史とか、教会の宗派とか、建築デザインの変遷とか
注意深く観察するとそれぞれの違いが見えてきて、面白くなるのでは?と思う。
もちろん自分も含めて。もっと勉強しましょう。

例えば、ビザンチン様式とゴシック様式では、十字架の上のキリストの表情一つとっても
かなり違う。
それはキリストの神性と、人間性とどちらを強調するかについて異なる見解があるからだそうだ。
先に述べた、マリアの描かれ方の違いなんかも、個人的にはかなり面白い。

また、フィレンツェの大聖堂は外部と内部でかなりデザイン性が違うが、
これは、外壁を先に作った当時は荘厳なゴシック様式が流行りだったものの、
内部の建築に着手する頃には、すでに数百年の時が流れていて、
時代のトレンドはよりシンプルなものに変わっていたとか・・・。
数百年にまたがる大プロジェクトだからこそ起こる現象なんだろうな。

*  *  *  *  *

以上、勝手気ままなイタリア旅行記でした。

5月は比較的時間があるので、ちょこちょこ更新する予定(=目標!)

Saturday, 14 April 2012

How many birds ... with one stone? ー 社会を良くする多機能チャリティ!

・・・前々回、前回に引き続き、私がボランティア中のチャリティショップのお話です。
前回の最後に、次回予告として
「このチャリティショップの利益を上げるにはどうしたら良いのかを考えます」
みたいなことを書きましたが、
いろいろ考えているうちに、内容がつまらなくなりそうな気がしたので作戦変更です。


* * *


そこで、今日考えるのは「多機能的なチャリティー活動」についてです。
これまでは、チャリティーショップの目的を「中古品を売ってその利益を慈善活動に充てる」
ことに限定してお話してきましたが、
実はそうでもないんですよ、むしろそうじゃない方が良いんじゃないか、という話です。


そこで本日のタイトルは、日本語ではおなじみの「一石二鳥」ですが、
もともとはこれも英国の諺だそう。
オリジナルは、文字通りKill two birds with one stone」です。
「ちょっとKillなんて野蛮な・・・」と別の選択肢を探したんですが、
残念なことに、世界でもこの言葉のままが多いようで、あな恐ろし。。。
せめて「一石二鳥」と遠隔表現している日本語は、素晴らしいなと思いました。


さて、日本でも、「一石二鳥」を「三鳥」、「四鳥」と増やして、
1つの行動で2つ以上の目的を達成できる様子を表現しますよね。
チャリティーショップの持つ多機能とは?
チャリティーショップはどのような点で、社会の役に立っているのでしょうか?

1.慈善活動の収益金になる
第一に、これは今までお伝えしてきたとおり、チャリティショップの収益金は、
発展途上国の貧困削減や女性の権利向上、地震や洪水などの自然災害への緊急援助に
充てられます。
この活動趣旨に賛同する人が、自分の品を寄付したり、ボランティアしたり、
商品を買ったりしてくれるわけですね。


2.リサイクルの促進
第二に、オックスファムのチャリティショップ=リサイクルショップですから、
ゴミの減量、環境への負荷軽減というメリットがあります。
勿論、中古品を手放す人にとっては、日本でいう「ブックオフ」さんみたいなところに
持っていけば、現金で引き取ってくれますので、その方が儲けが出て嬉しいですが、
ブックオフでは、本しか引き取ってくれませんよね。
服は服屋へ、家電は家電屋へ・・・と持っていくといちいちめんどくさいので、
一度にいらないモノを処分したい!お金はいらないから!でも捨てるのは環境に良くない・・・
という人にとって、なんでも(除:家電?)無料で受け取ってくれるうちのような
ショップはすごく便が良いのだと思います。
良くマイカーでお店の前まで来て、大量の品を寄付されていく方が多いです。
一方で、購入者にとっては、中古品ではあるけれど、安くて良い品が出に入れば、
嬉しいですよね。


そうした意味で、チャリティショップは地域のリサイクル活動に
一役買っている訳です。


3.地域コミュニティー作り、自立支援
一方で、チャリティーショップは働く人にもメリットがあります。
ノーリッチのオックスファムショップでは、色々な人がボランティアをしています。
一番多いのは、ご退職後のおじいちゃん、おばあちゃん達ですが、
皆さんとてもエネルギッシュで、ばりばり働いています。
そして、世間話をしたり、お互いの健康を気遣ったり、言ってみれば良い社交の場に
なっているんですね。
ノーリッチでは高齢化も一つの問題になっていると聞いたことがありますので、
そういった意味で、地域のコミュニティーとして機能しているんだと感じています。
高齢者の方だけで無く、体に一部障碍のある方も裏方さんとして活躍しています。
一時的に職が無いという方も「何もしないでいるよりは」と言ってボランティアに
来ています。これは偉いなぁと思いました。
私のような英語のへたくそな留学生にとっても、地元の方と接して英語を練習する絶好の機会です。
(今でも、お客さんに難しい質問をされるとどきまぎしていますが・・・)


そして、皆さん誇りを持って仕事をしているように見えます。
これはオックスファムの活動に強く賛同しているからに他なりませんが、
一方で、オックスファムの持っているブランド力も大きいと思っています。
私も、自分の履歴書に「オックスファムでボランティアをしてました」と書けるのは、
打算的ですが、一つのメリットです。


* * *


これらの機能が、相互に上手く作用して、チャリティショップが成り立っているんだと思います。


チャリティショップの営業活動に対して、
第2のメリットが、仕入原価の低下というメリットをもたらし、
第3のメリットが、労働力を無料で提供する、
その結果、第1の目標である支援活動の資金が増える、というわけですね。


そして、それがオックスファムの現地での支援活動を充実させ、
支援する人、寄付する人、ボランティアする人をもっと嬉しい気持ちにするというサイクル。


=ちょっとしたボランティア論とチャリティの「仕組み作り」=


ところで、ボランティアさんは「安価な労働力」と捉えるべきでしょうか?
私の考えは、ボランティアさんはお金に換算すると「安価」なのかもしれませんが、
有能で「継続的に」活動してくれるボランティアさんを集めるには、
その団体をお金以外の面で「魅力的な場所」にしなければいけないと思います。
つまり「やりがい」とか「社会の役に立っている意識」とか「友達が出来る」とか
「勉強になる」とか、そういう活動に参加する人にとってのメリットです。


これは、また機会があれば書きたいと思っていますが、
国際協力やボランティア活動は、見返りを求めない無償の愛!を持たなければならない、
あるいは、そういう意識の高い人たちがやっていることで、自分にはとても真似できない、と
思っている人がいるかもしれませんが、私は必ずしもそうではないと思っています。


これは道徳的・倫理的に難しい議論になるのでもっと勉強しなければいけませんが、
上記であえて「継続的なボランティアさん」と書いたのは、
人は「何かを継続するのが苦手な生き物」だと思うからです。


多くの人は、少なくとも"一時的には"、見返りを求めずに誰かを助けることが出来る
優しい心を持っていると私は思っています。
しかし、それを継続することは、簡単ではありません。


私も含めて、多くの人は、誰かに対して「無償の愛」をいつまでも
与え続けることは、結構至難の業なんではないでしょうか。
それが大事なことと、わかっていても、です。
私たちの多くは、「熱しやすく冷めやすい、忘れていく生き物」だからです。


もちろん、今でも震災復興のために、日々尽力をされている方々がいます。
そうした方々の話を聞くと、心から尊敬の念を抱きます。


でも、残念なことに、それは全ての人ができることではありません。


だから、「無償の愛で活動できる人しかボランティアしてはいけません」と限定してしまったら、
多くの、私のような意志の弱い人間は、チャリティには参加する資格が無いことに
なってしまいます。
でも、それが本当に良いことでしょうか?
理想を突き詰めてごく一部の人でがんばることと、現実的に多くの人を活動に巻き込んでいくことは、
どっちが良い結果を生むのでしょうか?


私は、世界をもっと良くするためには、今よりもっとたくさんの人の力が必要だと考えています。
だから、もっと多くの人を巻き込んでいくためには、多くの人が参加できるような
「社会を良くする仕組み」を作ることが大切なんじゃないかと最近ぼんやり考えています。


今話題になっている「ソーシャルビジネス」や「BOPビジネス」に繋がる議論ですが、
寄付やAidといった一方的な支援に頼ったものではなく、
支援する側もメリットを得る(=収益を得る or やりがいを得る or 友達を得るor 誇りを得る)
「好循環の仕組み」を作ることが継続的な成功の秘訣なのでは無いかと思っています。


* * * 


なんだか偉そうなことを色々と書いてしまいましたが、
私もまだまだ勉強中です。


次回以降は、ちょっと開発関係のテーマから離れて、
気楽な内容を書いてみようかなと思います。



今回も読んで下さり、ありがとうございました。
ノーリッチに住んでいるUEA学生の皆さん、お時間があれば、
ぜひショップに遊びに来て下さいねー^^ 美味しいドライマンゴーが待ってます☆