Friday, 2 March 2012

種蒔き育てる人が収穫する من جد وجد ومن زرع حصد

アラビア語の諺。・・・もちろん、ほとんど読めないが、
マン ジャッダ ワジャダ ワ マン ザラア ハサダ」と発音し、
直訳すると、「努力する人が見出し、そして種を蒔き育てる人が収穫する」という
意味になるのだそうだ。


どこの国にも、努力や積み重ねの大切さを説いたことわざが一つや二つはあると思う。
それもその一つだろう。
ただ、この言葉を選んだ理由は、アラビア語が好き!・・・なだけでなく、
「種を蒔き育てる人が収穫する」という表現が、
単純に努力だけでは無く、計画性の重要さを示しているようで、
自分には重みがあるからだ。


当たり前のことだが、種を蒔いている人は、種を蒔いているときすでに、
半年後?1年後?10年後?に、その種がどんな風に実りをもたらすのか、
知っているに違いない。
そして、最善の方法で、こつこつと育てる。。。


つまり、
「成功の具体的イメージ」とそれを実現するための「確かな道筋=計画性」、
そして、その道筋にKeep on trackするために「努力」の3つがあって、
はじめて「収穫」がある、ということなんだろう。


私も、そんな「計画性のある努力家」になりたいものだと思う。


こんな当たり前のことをわざわざ書くのは、
自分は今まで、それなりの瞬発力(要領の良さや短期的な集中力)で、
いくつかのハードルをなんとなく乗り越えてきたように思うものの、
人生でより大きな事を成し遂げるには、反射神経だけでは不十分だと思うからだ。
いきあたりばったりでなんとかなるほど、世間は甘くないだろう。


もう一つの理由は、努力して成し得た事柄は、人に自信を与えるからだ。
これは持論だが、人は安易に手に入れたものの価値を見失いがちだ。
一方で、同じものであっても、苦労と努力を重ねて手に入れた人は、
それによって大きな効用を得る。
例えば、同じ大学に合格した人でも、さらりと現役合格した人よりも、
浪人して合格した人の方が喜びを感じるし、自分の努力の成果を誇りに思うだろう。
まして、別の第一志望に落ちて仕方なくその大学に来た人と比べたら?
合格という結果は同じだろうし、まして浪人した人は多くの時間を浪費しているわけだが、
人の幸せというものがあくまで主観的なものであるとしたら、誰が一番happyだろうか?


つまり、努力をして何かを手に入れるという経験は、
実際に手に入れたもの以上に、自己への信頼という人に大きな財産を
もたらすのではないだろうか。


私もそういう経験をしてみたいものだなぁ、とぼんやり考える今日この頃。









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