今日の言葉は、世界一のベストセラーからの一節です。
* * *
Love is patient, love is kind.
愛は寛容であり、愛は情け深い。
It does not envy, it does not boast, it is not proud.
愛は妬むことをしない、高ぶらない、誇らない。
It is not rude, it is not self-seeking.
不作法をしない、自分の利益を求めない。
It is not easily angered, it keeps no record of wrongs.
いらだたない、恨みを抱かない。
Love does not delight in evil but rejoices with the truth.
不義を喜ばず、心理を喜ぶ。
It always protects, always trusts, always hope, and always perseveres.
そして、全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てを耐える。
Love never fails.
愛はいつまでも絶えることがない。
新約聖書「コリント人への手紙第一」13章4—8節
* * *
キリスト教徒でなくてもこの言葉を聞いたことがあるという人、
決して少なくないはず。
・・・なぜなら、
この言葉、日本で行われる西洋式ウェディングにおける
決まり文句のようなのです。
私の結婚式の時にも、神父さんがそのまーんま読み上げていた。
「これから二人で愛し合って、がんばってくださいね」
という、一種の訓示みたいなもの。
しかし、キリスト教のことを少しでも聞きかじったことのある人なら、
ここに出てくる「愛」という言葉が、
もっとスケールの大きな「神の慈愛」や「人類愛」について
説いたものであると言うことは、容易に察しがつくだろう。
それが、結婚式業界におけるコマーシャリズムと、
西洋っぽいロマンチックな挙式がしたい!という
新郎新婦のリクエストによって、
「男女間の愛」という狭義に矮小化されてしまうのは
非常に残念な話。
さて、そんな話はさておき、キリスト教では
「神が私たちを愛するのと同じように、互いを愛し合いなさい」と説いている。
つまり、先述の言葉も、神の慈愛について語ると同時に、
神の愛を実践するよう人々に呼びかける言葉と言うことになる。
(自分はキリスト教徒じゃ無いから関係ないと仰る方もいるでしょうが、
できれば話の流れに乗って聞いてください。ちなみに私も勉強中の身です)
でも、まさに言うは易し、行うは難し。
「愛」のある人生を送るのは、そう簡単じゃない。
私は、嫉妬深いし、疑り深いし、忍耐強くないし、
無意識のうちに舌打ちする癖がある(←昔、上司に指摘された・・・)
今でも、毎晩この言葉を思い出しては、
今日も自分はだめだったなー、自省を繰り返す日々を続けている。
それでも、私がこの言葉にこだわるのは、
「言葉と人との不思議な出会い」を感じたから。
日頃は平然と(いうかぼけーっと?)している私だけど、
昨年の暮れ頃は、かなりの劣等感と焦燥感に苛まれていた。
周囲を見れば自分より出来の良い人ばかり。
どうやったらもっと優秀な人間になれるのか?
どうすればもっと「上」に上り詰めることが出来るか?
自分の「キャリア」をこれから描くべきか?
私は留学前に結婚をしてきたけれど、この選択は本当に正しかったのか?
地位や名誉こそ、自分が本当に欲しいものなんじゃないのか?
そんなことを悶々と考えて眠れない夜があった。
翌日、
イギリス人の方の家で聖書の勉強会があった。
(毎月一回やっています:参加費無料!)
勉強会では、聖書のある一節を取り上げて
言葉の意味について一緒に考えたり、ディスカッションしたりする。
そこで、あの言葉に再会した。
読み始めてすぐに、「あれ、この言葉聞いたことがあるぞ」と気付き、
結婚式の時の言葉だと思い出した。
当時は「ふむふむ、有り難いお言葉だ」と素直に聞きつつも
特段気に留めることは無かった言葉だった。
それが、その日聞いたその言葉は、
周囲への嫉妬や利己心、自己顕示欲にまみれた
前夜のちっぽけな私の悩みに対して
ずばり語りかけてくるかのようだった。
しかも、全く新しい言葉ではなくて、
「結婚式も言ったでしょ、ほら思い出してごらん」
といったような、優しい語りかけだった。
Love is patient, love is kind.
愛は寛容であり、愛は情け深い。
It does not envy, it does not boast, it is not proud.
愛は妬むことをしない、高ぶらない、誇らない。
It always protects, always trusts, always hope, and always perseveres.
全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てを耐える。
勿論、これは偶然の話という人もいるだろう。
それでも、偶然にも意味を見い出せるのが
人間が授かった能力だと思いませんか。
* * *
それから、私の考え方は少し変わったと思う。
(すこし信仰に目覚めたというべきなのかも?)
うまく表現できないけど、
世間で「出来が良い」といわれる人間になるより、
もっと「良い人間」になりたいと純粋に思うようになったのだと思う。
私にとって「良い人間」とは、
あれがない、こうなりたいと無尽蔵に欲張るよりも、
家族や友人など周囲の人を大切にして
自分に与えられた恵みを受け入れ感謝できる人。
そして、授かった可能性を最大限に活かして生きる人。
* * *
ちなみに「言葉と人との出会い」という話は、
先日、友人のN子さんとランチをしているときに伺いました。
例え同じ言葉でも、なんとも思わずに過ぎ去ってしまう時もあれば、
ある時に出会い、それが自分にとって大きな意味を持ち、
いつまでも心に残ることがある。不思議ですよね。
そういった意味で、言葉との出会いは、
人と人との出会いに似ていると思う。
* * *
今回は、かなり長い内容になってしまいました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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