ブログを改めて始めよう!と思ったとき、なるべく前向きなタイトルにしようと思った。
でも、あまりにストレートにポジティブすぎるのも、自分の性に合わない。。。
そんなとき、世界の名言集やら諺をふらふら見ていて、この言葉が目にとまった。
Se son rose, fioriranno.
イタリア語は全くわからないけれど、素敵な言葉だと思った。
それから、イタリアの諺、というところが、気に入った。
イタリアらしい、キザでロマンチックでどこか投げやりな響きが心地良い。
当初、ドイツ語を勉強している自分としては、
ドイツ語で格好良くタイトルをつけようと思っていたが、
どうも堅くてまじめな諺が多い。
まさに、言語とは文化の表象である。
同時に、このブログでは、自分の日々感じたことや思い巡らしたことを
世界の名句に添えて書いてみたら、少しは面白くなるかもしれないと思いついた。
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というわけで、第1号はタイトルとして選ばれた
「Se son rose, fioriranno.(もし薔薇なら、咲くだろう)」
あなたは、どんな意味だと思いますか。
実はこの言葉、本当の意味がいまいち判然としない。
インターネットであれこれ調べてみたが、どうも一致した見解が見つからない。
ある書き込みによれば、英語の「The proof of the pudding is in the eating.(プディングかどうかは、食べてみればわかる)」という諺と同義になるのだそうだ。
またある人によれば、「Time will tell. (時が経てばわかる)」とも。同様に、ある日本語のサイトでは「果報は寝て待て」と訳されていた。
さらにあるイタリア人らしき人によるのコメントでは、「If two people really love each other, they will stay together.(もし二人が本当に愛し合っていれば、やがて結婚するだろう)」。・・・さすがイタリア人だ!
うーん、どれも微妙に意味が違うじゃないか、と思い、
思い切ってイタリア人の友人に聞いてみた。彼女の答えはこうだ。
If something is supposed to happen, you don't have to worry because it will happen.
もし何かが起こると決まっているならば、心配する必要はない。それは起こるのだから。
If a plant is a rose, even if it doesn't seem or it's still young, you just have to wait and you'll se it blooming because this is what a rose does!
もしその植物が薔薇ならば、そう見えなかったりまだ若かったりしたとしても、ただ待っていればそれが咲くのを見られるだろう。なぜなら、それが薔薇のすることだから。
あなたは、どんな意味だと思いますか。
実はこの言葉、本当の意味がいまいち判然としない。
インターネットであれこれ調べてみたが、どうも一致した見解が見つからない。
ある書き込みによれば、英語の「The proof of the pudding is in the eating.(プディングかどうかは、食べてみればわかる)」という諺と同義になるのだそうだ。
またある人によれば、「Time will tell. (時が経てばわかる)」とも。同様に、ある日本語のサイトでは「果報は寝て待て」と訳されていた。
うーん、どれも微妙に意味が違うじゃないか、と思い、
思い切ってイタリア人の友人に聞いてみた。彼女の答えはこうだ。
If something is supposed to happen, you don't have to worry because it will happen.
もし何かが起こると決まっているならば、心配する必要はない。それは起こるのだから。
If a plant is a rose, even if it doesn't seem or it's still young, you just have to wait and you'll se it blooming because this is what a rose does!
もしその植物が薔薇ならば、そう見えなかったりまだ若かったりしたとしても、ただ待っていればそれが咲くのを見られるだろう。なぜなら、それが薔薇のすることだから。
うーむ、なんという楽天的世界観。
「自分で何とかしよう」というよりは、
「なるようになる、だって(神様によって)そう決められているのだから」ということ。
そこには、神の創った予定調和の世界に対するポジティブな信頼があるのだ。
一方で、この言葉は、ネガティブ人間の私に小さな不安を掻き立てる。
「もし、それがそもそも薔薇でなかったら?」
それが薔薇であると、最初にわからないとしたら、どうすれば良いのだろうか?
私たちの人生は、常にこの種の不安と闘っているようなものかもしれない。
自分に夢がある。でも、その夢を叶える能力が自分に備わっているかは、
その夢が叶うまでわからない。
自分が薔薇でないと気付いたときには、もう遅いかもしれない。
自分に夢がある。でも、その夢を叶える能力が自分に備わっているかは、
その夢が叶うまでわからない。
自分が薔薇でないと気付いたときには、もう遅いかもしれない。
それでも自分を信じる以外に、選択肢は無いのだろう。
そして、自分を薔薇と信じて疑わないことこそが、
ポジティブ・イタリアンの真骨頂なのだろうか。
しかし、案外、この言葉を創った人はこう笑うかもしれない。
「薔薇ではないからと言って、咲かないとは言っていない」
そもそも、薔薇でなくても良いかもしれない。
慈しみ、大切に育てていれば、何か別の美しい花が咲くかもしれないのだ。
・・・というわけで、まとまりのない第1回になりましたが、
これからもこのブログが続くようでしたら、是非お付き合いください。
(写真は左記URLより使用させていただきました http://www.s-hoshino.com/f_photo/ )
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