Sunday, 11 March 2012

明日ありと思う心の仇桜



3月11日—東日本大震災から1年を迎える今日は、日本各地で様々な追悼行事が執り行われたことだろう。ニューヨークやロンドンでも、写真展等のイベントが開かれているいう話も聞く。でも、ここノーリッチ(「イギリスの片田舎」と言ったら地元の人に怒られるかもしれないが・・・)では、日本人以外の人があまり心に留めるような日ではないかもしれない。今日ノーリッチは春を感じるとてものどかな一日で、多くの人がキャンパス内の近くの湖で日光浴を楽しんでいた。

イギリスの生活はとても楽しく充実しているけれど、「ここにいる」ということは「他の場所にいない」ということでもある。海外留学をしている中で残念だと思うことの一つは、今年の春は日本の桜を見ることが出来ないこと。というわけで、今回は桜にまつわる日本の諺を探してみようと思ってあれこれ検索。そこで気付かされるのは、桜は紛れもなく日本人が最も愛する花の一つであるにもかかわらず、それにまつわる和歌や諺は、桜の花と人生の儚さを重ね合わせた切ない歌ばかり。今日の一句もその一つ。

「明日ありと思う心の仇桜」

この歌は浄土真宗の開祖として知られる親鸞聖人が九歳に得度(とくど-僧侶になること)をするときに読んだ歌と云われている。さらに、この歌には下の句があって

「夜半に嵐の吹かぬものとは」

と続く。

この世は無常であり、今を盛りと咲いている桜の花が、夜中の嵐で散ってしまうかもしれない。それと同様に、自分の命もいつ消えてなくなるかわからない。

と歌い、すぐに得度の儀式を執り行って欲しいと青蓮院の慈円和尚に懇願したのだそうだ。仇桜(あだざくら)とは「人の期待を裏切って散ってしまう桜」のことだそうな。


3月11日という今日、この言葉の重みがずしりとのしかかってくる。現代風にいうと「今日が人生最後の日だと思って、一日一日を一生懸命生きよう」ということになるのだろうが、毎日繰り返される平凡な生活の中で、そのことを常に考えて生きている人はあまり多くないだろう。

でも、一年前の今日、2万人を超える人々に「そのとき」は突如としてやってきたのだ。

一年前のことを思い出すと、今でも色々な思いがこみ上げてきて、うまく言葉にならないという人が多いと思う。自分は誠に幸いにして近しい人を亡くしたり、大きな被害を受けることが無かったが、そんな私でも、自分にとって家族がいかに大切な存在か、また自分の人生についてこれからどうするべきか等々、色々な思いが心にこみ上げてきたものだ。

陳腐な言葉ではあるけれど、改めて震災でお亡くなりになった方のご冥福を心からお祈りしたい。

そして、今日自分がこうして生きていることの喜びとその意味を噛み締めなければと思う。迷いやストレスや悩み事は毎日尽きないけれど、自分がこの世界に生を受けてここまで生きてきたという奇跡への感謝を忘れずに、これからの人生を生きていけたらと思う。


話は少し戻って、日本人の桜への愛について。最初に桜にまつわる言葉は切ないものばかりと書いたが、それは日本人が桜の花の儚さに「美」を感じているからだろう。どの小学校にもある桜の木。夏になると毛虫がついて木の下を歩くのがイヤで仕方が無い。秋には落葉掃除が面倒だし、冬はなんの見映えもしない不格好な姿。幹もごつごつしていて木登りしづらい。・・・その桜の木がピンク色に華やぐのは四月上旬の一週間だけ(in 関東)。でも、その「一瞬の美」のために、日本には何百万本(以上?)の桜の木が植えられていて、年中せっせと毛虫駆除や落ち葉掃除をしているのだ。それこそが、日本人の「美学」。


ところで、フランス・プロバンス地方発の人気化粧品ロクシタンに「イモーテル」というシリーズがある。イモーテルとは英語で「不朽」という意味で、なんでもその花は、「鮮やかな黄色い花びらを持ち、枯れてもその形や色を失うことが無い」という。アンチエイジングケア商品として人気が高い!・・・が、しかし、この「不朽花」日本の和歌に詠まれることはないだろうな。(こんな終わり方で良いのか?)


醍醐寺の桜
(フリー写真集のサイトより抜粋させていただきました http://sozai-free.com/read.html)







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